~身近な人が突然いなくなったら~たまたま見つけたある話で帰り道に泣く寸前だった
こんにちは、ジョコ(@harahachibu8)です。
いろんなところで春一番が吹いたらしいですね。
梅の花の開花情報も出てきたし、
まだまだ残る寒さの中にも
だんだんとまた四季の移り変わりを感じられますな(*・∀・*)
今日はね、ちょっとセンチメンタルになる記事のご紹介。
あえていま想うことを殴り書きみたいに書いて、見直しせずにアップしようと思う、、笑
帰りの電車の中で読んでた、ある話。
これぜひ読んでみて。
人が「死」を感じるときというのは、この記事のような身近な人の死や自身の病気、巻き込まれてもおかしくなかった災害など、いろんな機会があると思います。
ボクたちは生まれたときから「死」に向かって少しずつ歩んでいっていて、どの時点でゴールテープを切ることになるかはわかりません。
織田信長は「人生50年」と言っていたけど、いまのボクたちは人生というと「80年」という数字を思い浮かべる人が多いでしょう。そして将来的には、2007年に生まれた子供のおよそ半分は100歳を超えて生きるようになるそうです。
「人生=100年」が当たり前になるとは。
すごい時代ですよ。
でも、その「当たり前」にたどり着くことなく、まだまだこれからというときに突然終わりを告げられる可能性は、どんなに健康な人でも持っているわけです。
実際この話に出てくる「旦那」はまさにそんな人。
ちなみに旦那の身長と体重は
ほぼボクと一致してました、、(^^;
だれにでも、あると思うんです。
いっつも一緒にいる家族だからって、「おはよう」とか「ありがとう」を適当にする
恋人と喧嘩して、イヤな空気になったままその日が終わる
ずっと行きたいとこ、やりたいことだけどお金がないから我慢してる
ボクも書きながら心当たりが山ほど。。。
でもこういうのって、心の底に
「明日が来るのが当たり前」「次があるのが当たり前」
って気持ちがあるからこそなんですよね。
でもそれって明らかに間違ってて。
終わりなんて突然(当然)やってくることこそがむしろ当たり前だしね。
自分は祖父母関係はおばあちゃんが1人。
実家の両親はいまのとこまだ元気です。
そして彼女とは一緒に住んでもうすぐ4年になろうとしています。
考えてみればめちゃくちゃ恵まれている環境。
そこにお金だ仕事だって問題は多少あることはあるけど、
でも「生きていることの喜び」を脅かすには程遠い。
「人生は有限である」
自分の人生にとってなにが大事なのか、誰が大事なのか。
そんなことを主体的に選んで、居心地の悪いところにはいないで
集中したいところに集中できる。
そんな人生になったらいいよね。
ひたすらにどんどん文字を打っていったおかげで、ほんとにまとまりのない、
なにが言いたいのかわかんない感じの文章が出来上がったことでしょう。
でもあえてこのままアップします。
(何の「あえて」なのかわかんないけど)
なんとなく、そうした方がよりリアルというか生々しい自分の声を表現できるのかなっって。
まぁとりあえず記事だけでもぜひ読んでみてくださいな!
LINE:kjysak8